動線

最近、長野駅近辺の色んなホテルを渡り歩いてます。
そりゃもう毎週行ってそのたびにホテル変えてますからね、色々気づきがあったりします。

広さだとか、清潔さ、設備、設備のデザインなんかは目で見て明確なので判断材料にし易いものです。
実際、僕もそのあたりを重視して(値段は二の次で)ホテルを選んでます。

でも、目で見えない判断基準で大事なものが、サービスと、動線。
サービスは、もう言わずもがなですよね。
ちょっとくらい狭くて汚くて設備がオンボロでも、フロントやサービスの対応が良ければ自然とそっちを選んじゃうこと、多々あります。
下手したら、フロントの女性が素敵だった、程度のことでポイント上がったりします。


それはどうかって?
おい、野郎ども!
そうだよな?そんなもんだよな?
同意しろよな!

ま、まあそれは置いとこう・・


書きたかったのは、動線の話。

上着を脱いでスリッパに履き替え、テレビをつけて、ひとまずソファに腰掛けて水を飲む。
トランクから数日分のYシャツをハンガーに掛け、ついでにトイレに行く。
机にPCを出し、トランクから部屋着を出し、着替えてPCに向かう。


・・・。


どんだけあっちこっちウロウロさせるんじゃいっ!

ってなる部屋があるんですよ。
部屋の作り、ですね。
こういう一連の動作が、至ってシンプルに行動できるよう考慮されてるホテルは、レベル高いです。
設計の段階でお金かけてるってことです。

たまに泊まるくらいならあまり問題にならないかもしれませんけどね。
それがホテルなら特に問題にならないかもしれない。

本当に書きたかったのは、ホテルの動線の話じゃなくて、世の中にある動線の話。
普段の街なかにも、動線って多々あるんですよ。


意識してないだけで。


それを意識してない人が多いことが問題だっつう話です。
駅のエスカレーターを降りた、まさにその場所で立ち話してるおばはんがムカつくっていう話です。
駅の改札抜けた、まさにその場に立ち止まって携帯で喋ってる女がムカつくっていう話です。
そこに立ち止まったら通路が塞がるだろ分かれよっていう話です。


■結論
貴方が立ち止まってるその場所は、動線じゃないだろうか?
そのせいで誰かがムカついてないだろうか?

ということを想像して行動して頂けると世の中がほんのちょっとスムースに動きます。

HUNTER×HUNTERを味わう

「味わう」シリーズ第四弾。

勝手にシリーズ化されてますが、今回はタイミングもよいので漫画でも味わってみましょう。
何がタイミングが良いかというと、HUNTER×HUNTER(ハンターハンター)というマンガの26巻が出たのがつい最近なのです。

そんなもん、取り上げるほどのトピックか、と思う方もいるでしょう。

このマンガを描いている冨樫義博氏、週間少年ジャンプ始まって以来のダメ漫画家でして、締切を飛ばしまくっている休載王。
にも関わらず、雑誌社から切り捨てられないだけの人気を誇るマンガを描くわけです。
(つまり企業からみて、それだけのマイナスがあってもプラスと計算できる程のカネのなる木)


醜聞の耐えない凄腕政治家、みたいな感じでしょうか。
ちょっとした問題発言くらいでクビ切られる風潮がありますが、それってほんとどうなんでしょうね。
ホントに本職(政治的才能)だけは凄いかもしれないんですよ。
この冨樫氏のように。


僕なりに、このHUNTER×HUNTERの凄いところを挙げてみましょう。


まず、人気作になると、○○編、××編、といったように、物語が終了しても、収益の観点から次のストーリーを始めさせられるのが常です。
もしくは元からプロットがあって、作者が続けたいと思っているか。

そうすると、大体のところ「嘘に嘘を重ねる」感が増していき、遂には衰弱して終了・・というのがオチな訳です。

ドラゴンボールとかがまさにその典型。ラブ★コンもそう。
古いところではキン肉マンなんかもそうでしょう。
現在も続いているものでは、BLEACHがまさにその典型。
何故に20巻で終わらせておかなかったか(終わらせてあげなかったか)と歯痒い思いです。

ワンピースはその辺、上手く出来ていて、よっぽどの「嘘」にならない限り、エンディングに向けて冒険する島を増やしていける寸法です。
(その遠回りが鬱陶しいケースが最近多いですが・・)


逆に引き際が天晴れなマンガ、というのはやはり、「名作」の称号を与えられるものが多いですね。
スラムダンクしかり、ハチミツとクローバーしかり。
BANANA FISHもそうでしょうし、寄生獣もそうでしょう。


まあ他にも多々あると思いますが、僕は全てのマンガが後者であって欲しいわけです。
つまり、エンディングまできっちり想定どおりに話が進められた名作であって欲しい。


HUNTER×HUNTERは、ストーリーを重ねても、何ら遜色なく継続しているという、かなりレアな作品なのです。
そこがまず凄い。
これは本当に難しいことなのです。
マンガ好きには分かってもらえるはずです。きっと。




やべー


書きたいことの半分も書けてないのにこの分量・・
二回に分けるとします・・


(続く)

いつまでも対岸の火事

久しぶりに民放テレビを見ました。
こんなふざけた仕組み(ビジネスモデル)はとっととなくなれば良いと思います。


今、僕は、便秘です。
書きたいことは山ほどあるのに、キーボードの前に座ると書く気にならない。
そんな期間が続いています。
10年くらい自分のホームページに色々書いてきてますが、今が一番長い便秘かもしれません。

それでも。

それでもこれだけは書いとかないと、と思うくらい、民放という仕組みに腹が立ってる次第です。


民放テレビを見てる人の100%全ての人に再確認、再認識しておいて欲しいことは、あれらの番組は全て、ただただ「視聴率」のために作成されている、ということです。

視聴率のためなら、何でもやります。何でも作ります。


そういうコンセプトの元に、全ての番組が作られているわけです。
放送の中身がどうだろうと、高い視聴率を取ることだけが最重要課題なのです。
お色気満載だろうと、お涙頂戴だろうと、しかめっつらしたコメンテーターがどんな真っ当なことを言っていようと、です。

何でこんな奇っ怪な仕組みが出来上がってしまったんでしょう?


「子供に見せたくない番組ベスト10」

とか、もう、本末転倒を通り越して良く分からない世界ですよ。
無料で見てる奴が何言ってるんだっつう話ですよ。
見なけりゃいいだろ。


挙句の果てには「明日から公開される新CMを先取り!」って。
バカかっつの。
それを見せたくて、企業はお金かけて番組を作らせてるわけですよ。
番組も見ずにCMだけ見るって。
何すか、それ。
どんだけ人が良いんですか。

その割には、金も払ってないくせに番組に対してクレームはつけるんですってね。
そういうとこは厚かましいくせに。



全てが有料放送で、試聴側が、自分の需要に応じて番組を選択する。


これが真っ当なテレビ放送のあり方だと思います。
そういう意味では(義務化な部分はさておき)NHKは正しい。
金取って番組作ってるわけだから、文句言われて当たり前。


民放テレビとは、あの手この手を使った「企業の宣伝手段」以上でも以下でもないのです。

見たい番組にはそれ相応の対価を払って見る
そしてそれ相応のクレームをつける

という感覚が、日本人に欲しい(必要)と思います。



与えられたものだけ見てるっていう感覚、相当情けないですよ。

映画論 その2 〜 映画になりうる素材

会社の休憩所でふと耳にした、二人の女性の会話。

「『華麗なる一族』見てる?あれ面白くない?」
「えー?あたし見てないのよー」
「あ、そうなんだ、おもしろいよ?」
「いや、あたしね、原作読んでるから。テレビも見たんだけど内容が薄くって見る気しないのよねえ・・」
「あ、そうなんだ・・」


でかした!
よくぞ言ってくれた!

と、心の中で拍手喝采を送っておりました。
これは、「小説をテレビドラマ化した結果」に対する感想の一例です。
もう少し厳密に言い直します。

「本来、テレビドラマ化することなど想定して書いていない小説を、テレビドラマ化した結果」
でしょう。

何故、作家がその物語を小説として世に出したのか。
最初から映画にするお金がなかったから?
本当はマンガとして出したかったけど画力がなかったから?

僕は、小説こそがベストな表現方法だったからだと思いたいです。
(「華麗なる一族」については、という意味です)

同様に、延々とゴールに向かってドリブルしているサッカーアニメを見たことがあるでしょうか。
ドリブルすると、だんだんと地平線の向こうにゴールが見えてくる、あれです。

あれは、

「本来、テレビアニメ化することなど想定して描いていないマンガを、テレビアニメ化した結果」
となります。

しかもこの場合、例として最悪です。
表現としてそうしたかったわけではなく、ただ時間つなぎのために、地球を丸くしているわけです。

このように、元々の素材を、無理矢理に別メディアで放送するとなると、大なり小なりの「補完」が必要になってしまいます。

小説の中で「電話」と出てくれば、それがどんな電話なのかは読者が想像するべきものであるはずが、テレビ/映画化することで、実態化させなければならない。
同じように「凛とした」という一言は、俳優がそれを演じなければいけない。

本来、想像で補うべきものを、(原作者の想像すら超えて)勝手に生み出さねばならないわけです。
そうすることに価値があるんでしょうか?

もちろん、商業的価値はあるでしょう。
でも、芸術的文学的価値はどうなるのでしょう?


結論として、僕は言いたい。

原作(小説やマンガ)を映画化すると、確実に本来の良さ(=価値)を失います。
本来の原作を読まずして、映画化されたものだけを見て、その作品を評価して欲しくないです。
それは商業的価値が付加され、芸術的文学的価値に変更の加わったものに成り代わっているからです。

映画化するならば、最初からそのつもりで小説なり、マンガなりを(脚本として)描いてもらいたい。


もし、映画化した作品の方が、本来の作品より良いじゃないか、と貴方が感じてしまったならば。

それはもう、元の作品ではなく、「別人が作った別の何か」なのです。

映画論 その1 〜 ハッピーエンドの在り方

「その2」を書きましたが、まずは「その1」からどうぞ。
むかーし書いた記事の転載です。

-----

映画が好きかと聞かれると、好きだとは答えられない自分がいた。
かといって嫌いというわけでもない。

面白いと思える映画が殆どないので、まだ見ぬ映画に対しても
「どうせ面白くないんじゃないの?」
と思ってしまっている。
いちいちそういう風に説明するのが面倒くさいので、どっちかで答えるなら「嫌い」かなあ。

と昔の日記に書いているのだが、最近徐々に意見は変わりつつある気がする。
要するに自分できちんと探してなかった。
音楽みたいに、自分できちんと探してなかった。
ホントは探せばあるのに、ろくに探しもしないで、自分で作った仕様もない偏見に縛られていたんである。
アホである。

というわけで、ここでは、映画を面白くないと私に思わせている要因のあれこれについて、自分なりに考えたいと思っている。
今回は、その要因の一つ、ハッピーエンドの在り方について考えたい。



基本的には、映画というやつにはストーリーがあり、時間軸が必ずあります。

ハッピーエンドで終わる映画、というのが多々ありますね。
パターンは色々あるだろうけれども、勧善懲悪ものだったり、ラブストーリーだったりに多いでしょうか。
ハッピーエンドで終わる映画、というのは、言い換えれば、
その映画の結末を、ハッピーな場面で終わらせている(切り取っている)映画と言えますね。

恋をして、困難があって、乗り越えて、結ばれる。
めでたしめでたし。

でもそれってどうなんでしょう。
ホントにめでたいですか?
その映画の中にある世界にもちゃんと時間軸があって、時間が流れていて、
その世界自体は映画で切り取られた部分だけでなく、その後もずっと続いているはずです。

悪者が現れて、ピンチになって、乗り越えて、平和が戻る。
めでたしめでたし。

平和が戻るところで切り取って、それでホントにめでたいんですかね?
それで、この映画ホントに良かったー、って思えます?
それって都合良すぎるというか、映画を観る側も、映画を作る側も、
見て見ぬふりをしているということではないですかね。

何を?
本質を、です。


結局言いたいことは何だったんだ、ということになりませんかね。
愛とは素晴らしいものだ、と言いたいからといってハッピーエンドで終わる必要はないし、
平和こそ素晴らしいと言いたいなら、それこそ本質から目を背けるべきではない。

そんな上っ面な切り取り方の中に本当の感動や本質はないのでは?

つまり、これが私がハッピーエンドをよく思わない理由です。
ハリウッド映画に多いと思いませんか?



[そのとおり!と思った方へのオススメ]

ダンサー・イン・ザ・ダーク(監督&脚本:ラース・フォン・トリアー)
ジョゼと虎と魚たち(監督:犬童一心、原作:田辺聖子)

ほっとけない

時期を厳密には覚えてませんが、去年から今年くらいにかけて、ホワイトバンドをしている人がたくさんいました。いました。
過去形です。
今、まだホワイトバンドつけてる人、周りにいますか?
もうあまり見ないように思います。


それってつまり、もう、「ほっといてもいい」ってことですか?
たまごっちや歌謡曲みたいに、お気軽にポイしていいものですか?

ホワイトバンドに込められた意味は、「世界のまずしさは克服することができる。
この世界にはそのための資源や情報がすでにある。
必要なのは『貧困を世界の優先課題にする』という意志をもつこと」です。

ホームページの「活動の主旨」より引用

ODAに対する増資、というやり方が『貧困を世界の優先課題にする』という目的のための手段として正しいかどうか、そこは同意しかねるところは、あります。
(僕が同意しかねる部分については「ODAの質の問題」としてサイト内にもちょっとだけ記載があります

ただ、そもそもの主旨については何ら反対するところがない。
目的が企業や個人の利益ではないからです。

僕が問題にしたいのは、もっとも見たくない日本文化の恥部、すなわち、「一過性ブーム」なところです。
日本人の気質なんですかね。(それとも日本だけではない?)

「これが今、流行ってるんです」

と言われるとすぐ右へ倣っちゃう。
このホワイトバンドが、たまごっちだとか、歌謡曲だとか、アイドルだとか、来春流行る洋服だとか、そういった一過性ブームの対象と同列に扱われているところが、非常に腹立たしいのです。


たとえば、ホワイトバンドは買ったけど、選挙には行ってない。
それは矛盾してますよね。

たとえば、ホワイトバンドを身に付けて、「ODAって何?」と他人に聞く。
それはお門違いですよね。

たとえば、ホワイトバンドにそろそろ飽きて、そのバンドの意味も忘れる。
それで終わりなんですかね。
貧困は、それでなくなるんですかね。



「食べ物を残すなんてアフリカの子供たちに申し訳ないでしょ」

なんて言う。
どれだけ貧しい子供だって、腹がいっぱいになったら残しますって。
もう、明らかに観点がおかしいんですよね。


300円払っただけで。
「ほっとけない」意思表示ができてる、なんて。
そんな生易しいもんじゃないと思う。


でも、
ありますよね。
できること。
いくらでも。

トイレ談義

トイレの話ってすごい面白いと思いません?
トイレの話っていうか・・排泄の話?

トイレって個室だけに、ものすごく個々人のオリジナリティが出るとこみたいなんですよね。
いい年したおっさんが、便座に座る時、タンクの方に向かって座るとか。
小さい頃、オフィシャルな向きに座ると、ケツごと便器内に落っこちてしまうんですよね。
その頃のやり方がそのまま踏襲されてたりするわけです。

挙句の果てには便座の上にしゃがむ(乗っかる?)人なんかもいるとかいないとか聞いたり聞かなかったりします。
↑和式の名残?


つい先月から、新しいプロジェクトオフィスに通うことになりました。
そこのトイレにね、便座除菌クリーナーってのが設置されました。
こう、トイレットペーパーにシュっと吹き付けて便座を拭くんだそうです。
確かに公衆便所なんかにも、便座にかぶせる紙のシートなんかが用意されてるところがありますね。

えーと・・

他人のケツってそんなに汚いのかな?

別にさあ、他人のウンコが便座についてるわけでもなし、便座をそんなに綺麗にする必要ってあるのかな?
確かに、ケツに汗とかかいてるのかもしれないけど、それって汚いのか?

僕は、どう考えても電車の吊革とか、便所ドアの取っ手の方が汚いと思う。
特に便所ドアの取っ手が濡れてたりすると間違いなくキレます。
ゆえに便座よりも取っ手の除菌クリーナー希望。

いや、それよっか全トイレに自動ドア&エアタオル希望。


んんー、まだあるぞー


初めてウォシュレットを使った時は、
「こんなこそばゆいもの使えるわけがない!」
と思って敬遠してました。
あまりのこそばゆさに、止める前に避けてしまい、地面を水浸しにしてこっそり拭きまくったこともあります・・(恥)

が、
今や愛好者です。
時に、拭いても拭いても屈服することを知らない猛者がいたりするじゃないですか。
振動工学の減衰曲線を思い出します。
いつになったらゼロになってくれるんだっつう。

もういい加減にしてくれと。
俺の肛門をどうしたいのかと。
ああいうとき、切にウォシュレットを望みますね。



なので家の便座にも取り付けを考えているくらいです。
↑案外安い

そんなウォシュレットに提案。つうか要望。

あのね、肛門探知機つけてくれないかな。


こう、排泄後、ボタンを押して水を出しますが、ストライクだった試しがない。
便座の上を人間側が(ケツ側が)移動しなければいけない、あの屈辱というか、苦労?
あれ、結構恥ずかしいものがありますよ。便座移動。
便座とケツはかなりの摩擦力でくっついてますから、皮膚が引っ張られるわけですよ。
その皮膚の限界まで達しても肛門にヒットしない時は、それはもうゲルマン民族的な大移動を敢行する必要がある。


あの大移動は盗撮されてたらかなり恥ずかしいので、ゼヒ肛門探知機の導入と、噴射角度の自動調整機構をお願いしたいわけです。
それ込みで2万円くらいでお願いします。


あー
長くなったなー

食わず嫌い王

とんねるずの番組で、そんなタイトルのコーナーがあります。
かなり長く続いているコーナーなので、民放見ない僕でも知ってます。

二人のゲストが招かれて、それぞれタカさん、ノリさんにエスコートされ、向かい合って座ります。
一人あたり四種類の料理が用意されるけれども、そのうち一種類は「食わず嫌い」な料理が混ざっています。
実際に四種類の料理を相手の目の前で食べて見せ、どれが相手の嫌いな料理かを当てる
というゲームです。


あのー


例えばですよ。
例えば、僕がこのコーナーに出演したとして、レバーが出されたとします。


その場で吐いてしまいますので、バレバレですし、汚いので番組として成り立たないと思うんですよ。
量によっては10万円くれるといっても無理です。
でもね、食わず嫌いってそういうことでしょ?

食えないから嫌いなんであって、食べてみせて、芝居で好きなフリをするなって、出来ないと思うんですよ。
そんなの、嫌いなうちに入らないと思います。

「美味しいと思わないけど食える」

ってレベルでしょ?
そんなのいくらでも芝居できるよなあ

トラックバック論(その1)

この世の片隅でひっそりとホームページを作りつづけて8年目。
ドメイン管理の移転に伴いblogが持てるようになりました。

そもそもblogなんて必要なかったんですが、blogにはものすごい魅力的な機能が。
これ言うのは相当恥ずかしいんですが、
blogって、
あの、
文章をアップするという行為が必要ないんですよ!
ボタンを押すだけでアップできちゃう!

・・・。

おまえはいつの時代の人間だ、と言われそうですが、
エディターで文章書いて、
タグつけて、
写真とhtmlをFTPソフトでアップして

ってしていた人間からすれば、これは何て楽チンなんだ!
となるわけです。

そんなもん掲示板でやってりゃいいじゃねえかバカ
と言われそうですが、掲示板だと自分のドメイン内のアドレスを持てないので、やっぱりそれは間借り感が強くて、そこに自分の日記を書くのはイヤだったんですが、blogならサブドメイン内なわけです。


そしたらやっぱり、人間って楽な方へ楽な方へ進んでしまうものなんですねえ..
きっかけはmixiだったんですが、覚えちゃった。
この甘い蜜の味を。



また本題に入る前に脱線しちゃった..泣

つづく


200miles away

categories

selected entries

archives

recent comment

  • 卓球がダサい理由
    アホ
  • テンピュール vs. トゥルースリーパー
    HAHU
  • 寄付タスク1:SHARP AQUOS 37インチ(LC-37DS5)
    fkm
  • 寄付タスク1:SHARP AQUOS 37インチ(LC-37DS5)
    ミケネコ
  • 美ら島日記 2009(2)
    竜士郎
  • andymori@日比谷野外大音楽堂
    ケイコとまなぶ
  • 音質健全化計画(14)EV FORCE-iも届いた
    fkm
  • 音質健全化計画(14)EV FORCE-iも届いた
    rogers
  • andymori@日比谷野外大音楽堂
    たくや
  • 音質健全化計画(10)E3c → SE530
    KGadd

recent trackback

profile

search this site.

others

mobile

qrcode